不幸フェチというどうしようもなさ


自分のことを「不幸フェチ」と言い張ってるときがある。

不満になりたがり。不幸でありたがり。わたしの人生はドラマはわたしのもので、わたしが主役だからわたしの見てきた記憶わたしの感じた痛みやつらさわたしわたしわたし

もはや不幸であることがアイデンティティになってしまった、不幸でいないと不安になるというどーしょうもない構図、不幸フェチ。

そもそも不幸であることがなぜそんな大切なのかというと幸せがわからないからなのである。

自分にとっての幸せって感覚がよくわからない。というか幸せを知らない。幸せであったことがない。だから世間一般のいわゆる幸せというものを見せしめられると、それと比べてわたしはこんなに不幸なんだ、って思うことでしか自分のあり方を見つけられない。

わたしの人生ではだれもわたしにかわいそうって、がんばったのにって、つらかったねって、いってくれなかった。だからわたしが抱えてあげるしかない。不幸で不幸を忘れるためにもっともっとヒタヒタに浸かってたい。だから不幸フェチ。不幸なわたしを求めてる。

幸せがわからなかったし幸せになれなかったかわいそうなわたしだから不幸で麻痺させていることではじめてちょっと、しあわせ、から固執することが緩和される気がする。

思うに私は幸せに対して貪欲であった。貪欲だからすべての責任も自分で追うつもりでいた。その幸せへの得体の知れない理想の高さと意識の強さがねじくさって不幸フェチへと導かれた。

不幸フェチなんかでいるかぎり幸せにはなれないと思う。不幸フェチなんかでいること自体が不幸、というよりはわたしの人生だったりクソな生き様の集大成であるかのように思う。

しかしこれは病はない。だから不幸病とは呼ばない。フェチなのだ。性癖、なおるもんじゃない快感と後ろめたさと変態にどうしようもなくグチャグチャにまざりきったクセのような

かわいそぶりたいから不幸でいるのが最高にキモチイイ、ならずっと不幸でいればいい。だけど簡単に救われない人間だから、こんな脳構造になってしまったこと自体は人生の傷で痕跡で障害だと思う。なおんないからこうやってフェチなんて言葉でキモチイイ風にしてごまかし付き合い続けてくしかないだけで、結局のところ健全ないわゆる幸せの概念に振り回され続けているところがまたしても救いようがない。

幸せを感じる器官が全く育たなかったから、かわいそがってもらってかまってもらえてって方面でしか気持ちが安定しない。幸せがわからないことが何もかもの不幸だ。

以前よりは私は落ち着いていて、前よりは安定した仕事をしていて、美味しいご飯を食べたりする休日に幸福を感じる。それでなんとなく幸せを得られたと思っても、今度は創作ができなくなったこととか執着のなくなったこと、ギラギラしたパワーのなくなったことに悩みやモヤモヤを感じているばかりで、今まで不幸で精神のバランスを保っていた人間が今更人並みに幸せになりかけたところで簡単に未熟な幸せ神経が育つとも思えない。自ら不幸に身を投げ出しすべてを破壊したくもなる。この歪んだすべてが不幸フェチスパイラルがわたしの一生かかえていく人生の負の痕跡。

脳内が多動症である。貧乏ゆすりをするのは適度な振動が落ち着きをもたらすというがそれと同じだ。いつも脳を揺さぶって揺さぶってバランスをとっていたからたまに静かだとむしろ落ち着かない。落ち着いていることが落ち着かない。


アーティズムマーケットにそういえば行きました。見るなちゃんの服が買えて幸せです。次のコミティアに申し込みました。不幸のエネルギーで絵を描くのができなくなったなら、絵を描きたくてしょうがないくらいしあわせになれたらいいのに。不幸フェチで居続ける方がしあわせになるよりも簡単な気がしてくるから世の中はくそ。

シアワセキチガイ



幸せを求めるあまり、私はシアワセキチガイになってしまった。

シアワセキチガイ。

わたしは常に、幸せという概念にとらわれ振り回されてきた。

それは幸せがよくわからなかったからなのだと思う。小さい頃にはみんなが持ってたように見えたものをわたしはもっていなかったり、いつから染み付いたのかもわからないいわゆるところの「幸せ」像みたいなものをわけもわからず追いかけていた。

そう、知らなくて、持っていなくて、だからありもしないかもしれないはずの幸せ像というものにより執着し、しかしやはり知らないものだからそのギャップに結局苦しんでいたりした。

わたしはわたしの幸せに対してとことん貪欲であった。わたしの幸せに対して犠牲や責任をはかれること、またわたしの幸せに対する執着的な価値観を理解できるのはただ自分のみと思ったいたからである。

お金がない、才能がない、環境がない、わたしにはなんにもない。ただなんにもないわたしに、唯一幸せあったとしよう。持っていたとしよう。それははじめて、わたしがどんな人間だったとしても、他のなんでも持ってる人間に勝てることわたしが幸せだと信じてることが唯一の可能性だと思っていた。

力がなくても物資がなくても、精神が充足しており自分は幸せだと自信をもって言えるなら。

そう考えられるようになったときわたしはほんとうに価値観がかわった。
たとえば晩御飯をちょっと凝って作って見ておいしかったとき。休日にちょっとお酒を飲んだり出かけたりしたとき。そういう幸せがみえるようになってきた。人間これでいいんだなって思ってた。

わたしが創作にいろいろ燃やしてきた原動力もまさにいわゆるところの幸せへの復讐だったり妬みだったりした。でもこういう何気ない類の幸せを感じられるようになったらそんなギスギスギラギラしていなくても立っていられて居心地が良かった。

だけれどもしかし、やはりわたしは生まれ持っての幸せセンサーを搭載した人間でなく、結局何気ない幸せだと当たり前のささやかなことだと思っていた幸せだってわたしは無理して感覚を研ぎ澄ませて洗脳することでやっとその幸せ電波をキャッチできただけの人間である。

そう、ささやかな幸せ、それなら許されて欲しいばっかりに無理やりにささやかな幸せを作り出そうとしていた自分がもう不自然できちがいじみていた。

結局、ささやかな幸せ、というものだって幻想の一般世間のいわゆる価値観に引っ張られて思い込んでいたものでそんなの全然わたしなりの幸せではわたしが感ずべき幸せではなかった。

当たり前の幸せなんてものに当たり前のはずのものにこんなに固執して振り回される時点で幸せではなかった。ただのシアワセキチガイの無様なすがたである。

結局、幸せや楽しいのなかにはいろいろなつらいものや苦しいものや息苦しさがどこかつきまとう。わたしは幸せがほしいのでなくほんとうは、そういったたぐいのややこしさとそれを考えずにいられない自分の脳神経のこんがらがりから解放されたいだけなのである。無なのではない。無になりたいのでなく格差や落差がひたすら怖いのだ。落っこちていくことがこわい。ただ一点にとどまりたい。落っこちたとき痛くなるだけなのなら天になんてのぼりたくないのだ。生きづらさとはそういうところに根付いている。

なつかしさに殺されそうになるのはなぜ

記憶とはきっと脳に刻まれた傷なのだと思う。

刻まれ、血を流し、やがて瘡蓋になり。
時たま瘡蓋が剥がれ、再び血を流し。
運悪く同じ場所を傷つけ、またより大量の血を流し、瘡蓋でふさがれるにも時間がかかり。

といったサイクルをわたしたちは生まれて何度も何度も何度も何度も繰り返し積み重ね、 きっとわたしたちの脳には、心には、おびただしい数の傷と瘡蓋がきざまれているのだ。

なんとまあ不思議なことに、わたしたちは時折、みずからその記憶に蓋するかさぶたをはがし、みずから記憶の血と傷に対面しようとする時がある。

痛いだけのはずが、つらいだけのはずが、なにがそうさせるのだろうと思う。

単に痛みやつらいを味わうためだけにするときもあるが、ここで登場するのが、「懐かしさ」、「思い出」という言葉である。

記憶の傷に、じんわりと溶け込む、それらはきっと、麻酔のようなものだ。

そう、思い出に浸るとか、懐かしさを味わうとか、そう言った行動は、記憶の傷に麻酔をかけ、痛みやつらさを甘美な陶酔の中に取り込みたいがためにとられるのだ。

ある種自分にとってショッキングな、それほどかけがえがない、大事な大事な記憶ほど、深い傷として脳に現れるはずだ。
つまりは深い深い傷ほど、たくさんの麻酔を要し、その分どこまでもトリップするような懐かしさの海に出られる。

ここ最近、やけに、「懐かしさ」がプッシュされているとは思わないだろうか?

未来ばかり見ていたはずの人々が、突然過去を見出した。それは未来に夢がないばかりではなく、懐かしさ、思い出、それらの持つ麻酔の力とあまりの甘美さに取り憑かれてしまったからなのである。

そういう私も、懐かしいものが好きだ。わたしの記憶の傷をほじくり返し、かさぶたをはがして血を流させ、更に丁寧に麻酔までかけて、脳の深い部分の一番敏感なところを、死にそうなくらいにでも死なない程度にいじってくれる。

だからいちいち、魔法少女やおもちゃの宝石を集めたり、あんなに嫌いだったはずの学校のアルバムを眺めて見たり、わたしの記憶の「その部分」にザクザク響く創作物を求めている。

記憶という傷をみずから切り開く。そう、懐かしさを求めることは、ある種わたしにとって自傷行為である。

つまりはこれだけ懐かしさ、レトロ、思い出、ナントカ年代を求めている現在の世相を眺めていると、みんな血と傷と麻酔に取り憑かれ振り回され、生きるために、現実のつらさを緩和するために、懐かしいファンタジーワールドに心を囚われて、実体の自分は呼吸だけとりあえずしてればいいみたいな、そういう感じがする。


だけどそれって案外悪くない。いつか思い描いていた未来の、自分は目を閉ざし呼吸のみをして、脳内ではトリップしてるような、それってサイバーな技術なんて実はいらなくて、あんなに変えたかったはずの過去を美化し陶酔するところにあるなんて。

デザフェス告知



いよいよ明日からデザインフェスタです!!

なかなか告知できず前日になってしまいましたが。。。。


ものこっこ、両日出展します!

ブースNo.は、「F-52」 です!!!

Twitterなどではたくさん告知していましたが。。。
原画展示、グッズ販売します!

新作はアクリル原画キャンバスをそのまんまネックレスにしたミニキャンバスネックレス、

缶バッジやステッカーなどです!


ぜひぜひおまちしております


ものこっこ22歳になりま死た!!!

ろくがつさんじゅうにち!無意味の日なんて呼ばれたりしてますが、わたし誕生日です。

早速twitterでたくさんのひとにおめでとうの言葉をいただいて、、、感激です。

創作活動も去年の誕生日前後から本格的にやりだしたので、一年でここまでとりあえずやってこられて、これだけの人と知り合えたのだなぁと思うと、もうほんと、やりつづけて、生き延びてきて、よかったという気持ちでいっぱい。



だいぶまえのブログに、22歳のみんなより、22歳の君より、22歳してないけど、わたしだけの22歳にしたい、とかって書いたので、とりあえずそれにむかってつっぱしるぜ、とね。

去年は去年で初グループ展参加などで節目感あったのですが、今年は今年でおそらく引越しや転職、グループ展の二回目などいろいろ待ってます。

22歳の夏休みは、くだらねえしどうしようもないけど、そうグダグダと休ませてはくれないみたいだ!!!





地元は、六月になると、毎週末金土日、なんの祝いや祭りでもないのに、広い公園を一面に出店が出たりします。

田舎にどこから沸いたのだというぐらい、うようよと浴衣を着た人がわいて、初夏で蒸し暑くて、結局雨でほとんどの日が潰れたりして。

そんななにもかもハッキリしない梅雨の天気にピッタリな夜店の空気が流れてくると、自分の誕生日がもうすぐやってくると感じるのがいつもでした。

地元を離れそうなので、それも最後になるかもしれないね。今年も、いけるといいな?

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