ハムスターにまつわる思い出

はじめてハムスターを飼ったのは小学四年生くらいの頃だったと思う。

友達の家で生まれた、まだ小指くらいの大きさのジャンガリアンのメスをもらった。

当時はハム太郎とか、ハムスターのキャラクターが今よりも流行っていたように思う。
もともと生き物は好きで、昆虫や魚なども捕まえるのが大好きだった。

どうしてもハムスターが欲しかったし、買ってはもらえないことはわかっていた。だから沢山生まれて困るのという友達の家から、親に言わずに内緒で貰って帰ったのだ。

ダンボールにハムスターを入れてずっと眺めてた。嬉しかった。
当然夜になって親が帰ってくるとすぐにばれた。怒られると思っていたけど、あまりの可愛さに結局ケージや回し車など揃えてもらえることになった。その時、私も飼いたかったけど言い出せなかったのにずるい、と姉は感じてたらしいことをあとから聞いた。

その子は今まで飼ったハムスターの中で一番懐いたし一番長生きした。正直小学生の私からしたら相当もてあそんでいたのに。ポケットに入れて学校に連れて行ってしまったことすらある。転校の時に車に乗せて引っ越しもしたのにそれからも生きた。

逃げるように引っ越ししなくてはならない状況だったので、勝手にハムスターのケージが車に積まれていく様子を見て絶望したことを覚えてる。

まだハムスターを飼う前、休日に公園に母親に連れ出され、ハムスターがいればさみしくない?って聞かれたことを今思い出すと、自分の代わりにハムスターを買い与えて家を飛び出すつもりだったらしいと考える。

初代ハムスターが死んでからも何体も飼ってきたけど、それから飼う子はみんな慣れないしすぐ死んでしまう子ばかりだ。

そういった数々の思いでもあいまって、私の中でのハムスターはくるおしい幼少の頃のトラウマとさみしさと遊び心といろいろな感情を刺激させる。

ハムスターを見ると殺したいくらいいじらしい愛おしい気持ちになる。

ハムスターは毛の生えた金魚、という表現を見たことがある。もっともだと思う。
愛くるしいけど人に懐かない。かろうじて慣れるだけで、実際観賞用のほうが適してる生態で、頭も良くなく、捕食対象にすらなりうるし、そのわり温度やストレスに弱くてすぐ死ぬ。

ひねくれた愛し方しかできないのは私がひねくれてるからでハムスターはなんら悪くないけど、私はそのハムスターの存在の軽さが好き。(命が軽いといいたいわけではないけど)

犬や猫なら、それはもちろん、知性もあり、喜怒哀楽もあり、毛並みや種類も豊富で、家族として愛する人がたくさんいるのを知っている。

でも私には重すぎる。家族、パートナーとしての重たい存在を動物に預けることができない。動物なのに人間同然に愛してしまうことで、ゆがんだ私の愛情神経ゆえにどこかで狂ってしまうのが怖い。

かまってほしければかまってあげる、叱る時は叱ってしつけ…とてもできる気がしない。

ただただ生きるのに必要な世話をし本能のままに短い人生を狭いケージの中で終えるハムスター程度の存在は私が勝手に愛していればそれでいい。これぞペットとして私には可愛がり方があっている。

一人じゃ生きていけない私がいなくなったら死んじゃう、危ないだけなのに脱走したがるいじらしい小さな命。その存在を自分の生活にちょっと楽しみを添えたいがためのエゴの塊として征服して当のハムスターはそんなことも理解していないこの一方的だけどうまくいった関係がとてもよい。

もちろん懐くことがあれば嬉しいし可愛がりたいしちゃんと世話をしたい。でも、その大前提があったとしてもどこか加虐心とトラウマと愛憎をくすぐる、ちっちゃな生き物が可愛すぎてたまらない。かわいいって言葉とかかわいそうって言葉はじつは相手を最高に見下してる自信があるから言える言葉だとおもう。だから、ハムスターが一番可愛い。
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