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なつかしさに殺されそうになるのはなぜ

記憶とはきっと脳に刻まれた傷なのだと思う。

刻まれ、血を流し、やがて瘡蓋になり。
時たま瘡蓋が剥がれ、再び血を流し。
運悪く同じ場所を傷つけ、またより大量の血を流し、瘡蓋でふさがれるにも時間がかかり。

といったサイクルをわたしたちは生まれて何度も何度も何度も何度も繰り返し積み重ね、 きっとわたしたちの脳には、心には、おびただしい数の傷と瘡蓋がきざまれているのだ。

なんとまあ不思議なことに、わたしたちは時折、みずからその記憶に蓋するかさぶたをはがし、みずから記憶の血と傷に対面しようとする時がある。

痛いだけのはずが、つらいだけのはずが、なにがそうさせるのだろうと思う。

単に痛みやつらいを味わうためだけにするときもあるが、ここで登場するのが、「懐かしさ」、「思い出」という言葉である。

記憶の傷に、じんわりと溶け込む、それらはきっと、麻酔のようなものだ。

そう、思い出に浸るとか、懐かしさを味わうとか、そう言った行動は、記憶の傷に麻酔をかけ、痛みやつらさを甘美な陶酔の中に取り込みたいがためにとられるのだ。

ある種自分にとってショッキングな、それほどかけがえがない、大事な大事な記憶ほど、深い傷として脳に現れるはずだ。
つまりは深い深い傷ほど、たくさんの麻酔を要し、その分どこまでもトリップするような懐かしさの海に出られる。

ここ最近、やけに、「懐かしさ」がプッシュされているとは思わないだろうか?

未来ばかり見ていたはずの人々が、突然過去を見出した。それは未来に夢がないばかりではなく、懐かしさ、思い出、それらの持つ麻酔の力とあまりの甘美さに取り憑かれてしまったからなのである。

そういう私も、懐かしいものが好きだ。わたしの記憶の傷をほじくり返し、かさぶたをはがして血を流させ、更に丁寧に麻酔までかけて、脳の深い部分の一番敏感なところを、死にそうなくらいにでも死なない程度にいじってくれる。

だからいちいち、魔法少女やおもちゃの宝石を集めたり、あんなに嫌いだったはずの学校のアルバムを眺めて見たり、わたしの記憶の「その部分」にザクザク響く創作物を求めている。

記憶という傷をみずから切り開く。そう、懐かしさを求めることは、ある種わたしにとって自傷行為である。

つまりはこれだけ懐かしさ、レトロ、思い出、ナントカ年代を求めている現在の世相を眺めていると、みんな血と傷と麻酔に取り憑かれ振り回され、生きるために、現実のつらさを緩和するために、懐かしいファンタジーワールドに心を囚われて、実体の自分は呼吸だけとりあえずしてればいいみたいな、そういう感じがする。


だけどそれって案外悪くない。いつか思い描いていた未来の、自分は目を閉ざし呼吸のみをして、脳内ではトリップしてるような、それってサイバーな技術なんて実はいらなくて、あんなに変えたかったはずの過去を美化し陶酔するところにあるなんて。
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