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創作と孤独、愛情について

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いつもtwitterにたれながして終わりだったさまざまな思考を、やはりきちんと書き残しておきたいとおもったため、ブログに書いていくことにします。
基本てきには、ツイートのまとめ直しなので、普段みていただいてる方には、重複した内容になるかとおもいますが。

そもそも、かしこまって文章をかくことが苦手なので、続くかもわかりませんが。

以下長文。




わたしのこころは、いつだって孤独である。

そして、創作に孤独とは、不可欠なものであるとも思っている。

どんなにいわゆる鬱作品だとか、問題提起だとか、俗にいわれているものでも、おそらく孤独を知らないであろうひとたちの言葉は、大変薄っぺらに感じるものだ。
そもそも、他人から与えられる言葉や創作で満足できる程度にしあわせな脳内をしていたら。わざわざ苦しんでまでも己から生み出す必要などはないだろうし。


では孤独とは何であるのか。

わたしはそれを、心の奥底によこたわった広大な、砂漠、であるとよく形容してきた。

砂漠。

比喩ではあるけれど、乾ききった、愛情の残りカス、堆積物であるという点ではなかなかじぶんにとって的確でしっくりきている表現だ。

感情とは、こころの表面の部分、単なる上澄みでしかない。それはときに激化しぐらぐらと煮え立つ。ときに甘美で恍惚とさせる味になる。おいしい部分だ。あったかい上澄みのスープの部分。

一見それは愛情を求めそして満たされていく、生きた部分にみえる。
しかし、わたしの心には砂漠があるので、いっくら表面が荒波をたてていても、奥底では常に冷静で、
冷め切って。論理的に計算して動いて。そうして愛情を手に入れたつもりが、乾ききった砂漠が瞬間それを吸収してしまい、けっして潤わず、ただ残りカスのゴミだけが堆積しまた砂漠を広げていくのを、つねにひざをかかえてみているのだ。


では何故その砂漠が、創作において重要な意味をもつというのか。

砂漠が心に生まれたこと自体がそもそも、愛情と裏切りの連続の末のことであるはずだ。だってそれは心の堆積物、沈殿物だもんね。

その繰り返しのなかで、心に砂漠をつくってしまったこと。それはある意味で自衛でもあるのだ。

そう、冷めきることでしか自分を守れないという、それは繊細さ。

感情に振り回されてしまうから、砂漠という、「底」をつくった。
裏切りに対して、傷つかないためにつねにどこか冷静になっていないとしんでしまうのだ。

それをしていないと保つことのできない、繊細な神経。
愛情にたいして敏感な脳の周波数。

こころに響く創作をつくるひとは、絶対にそれらを抱えている。

そもそも、愛情を欲しているにんげんは、知らずのうちに人に見てもらう、かまってもらうふるまいや言動をすることに長けている。

色気があるとか、オーラ、繊細、ひきつける、そういった言葉で表されるひとびとは必ず砂漠を抱えているのだ。


そして。砂漠を抱える元凶である繊細さ。またその砂漠に気づきコントロールしていく覚醒した、孤独。


そう。孤独なのは砂漠があるのは人類みな同じかもしれない。が、その孤独を覚醒させ気がつけるという力。そのための作業が、創作というものなのかもしれない。


だから。繊細さ。敏感さ、不要な脳のチューニング、それゆえに生まれた砂漠、傷。
これを背負わされてしまったのなら、もう、利用してなにか生み出してやるしか。救われる道はないのだ。

それゆえに創作は愛情で。孤独で。またそれらとそれに振り回される自分自身への孤独と愛情の提供で、その上、それら含めた世界すべてへの、復讐、でもありうるのである。


しかし冷静なはずの砂漠のわたしがあきれることにも。

つもりつもった心の、「それ」ごと。
おいしくないざりざりの沈殿した砂ごと。

すくいとって、飲み干してくれる人を。
あるわけないとわかりながらも、こうして砂漠に埋もれながら、ただ待ちそびれているので、

ますます創作から。孤独から。逃れられなくなっていくのである。
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