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なかなわとび

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199Xにて展示させていただいた絵、二作目です。
二枚で対になっています。

ながなわとびは、一番残酷な体育だ。

そして学校生活、クラスというもの、いや、人間関係全てと言ってもいいぐらいのすべてを象徴している。

回し続けるものがいる。そのリズムにあわせて、「みんなで」同じタイミングで、規律を乱さず、無意味に数字を数えながら、一斉にその場を跳び続ける。進むわけでも、他のスポーツのように勝ち負けや点数はない。ただ引っかからずに跳ぶことそれだけがルールの、スポーツとも言えないこれがどうしてここまで残酷なのか。

私は、中学生の頃、体育祭の長縄跳びの練習で足を怪我した。

長縄跳びのために朝練や練習のための授業があるほどの気合いの入れよう。今でも寒気がする。みんなさ、普段はなかまはずれのくせにさ、こういうときだけ団結、クラスの絆なんて言葉を使いたがるんだよね。縄跳びなんか跳びたくないから、なかまはずれでいいのに。

私はその日も何度も何度も引っかかって、暑かったし、クラスの士気は完全に萎えていた。男子ではやってらんねーとそのへんに座り出すやつもいた。ダルダルの気分のまままた縄が動き出す繰り返しのうちに、私は縄につまづき、そのまま転んだ。明らかにそのとき変な方向に足が曲がったのを覚えてる。動きの止まる縄。暑さの中の静寂。地面にうずくまる私。刺さる視線。
次の縄から痛いから休ませて欲しいと階段のある日陰の方に避難したが、その日はサボる男子が多かったためか、私もサボリだと思われて、女子には散々不満を言われた。
それでもどうしても痛かったので足をおさえながら見学をしていた。正直歩ける状態でもなかった。のに。

さっき私に不満を垂れた女子が「最後だから全員揃って跳ぼう」と言ってきた。私は足が…と思いながらもみょうな義務感と罪悪感から縄に加わった。痛みはもはや感じてなかった。その日は午後の練習も部活もして、家に帰った。瞬間激痛が戻ってきて、泣いた。
親に病院に連れてってもらうと、激しい捻挫、だったらしい。すぐに治療せず傷ついた足を酷使したせいで悪化してると言われた。1ヶ月ぐらい松葉杖になった。
松葉杖を使うのははじめてで、病院を出て自室につくまでだけでも泣きそうなぐらい苦労した。お風呂やトイレは床を這って行った。次の日、親に送ってもらい松葉杖をついて登校した。

いろいろな人に「どうしたの?」と聞かれたけど、昨日私に不満を言った女子とも目が合った。彼女が言ったのは、「まさか昨日の?そんなに大したことだったんだ。てかほんとだったんだ。でも骨折じゃなくて捻挫ならまあまだましだよね」という感想のみで、謝罪らしき言葉すらなかった。そりゃあ引っかかった私が悪いけれど、本当に痛かったのを信じてもらえなかったことには相当ショックを受けていたので。悪気は無かったんだろうけど、せめて気遣って欲しかった。それだけである。

今も片足で立つとふらふらする程度には後遺症が残っていて、長縄跳びのあの縄がスパンと地面に叩きつけられる音は、ギロチンのように私を処刑寸前みたいな気持ちにさせるんだよ。


そういう経験から、長縄跳びはとても残酷だと思っている。あれは回数を跳ぶことが重要じゃなくてね、みんなで一斉に跳ぶから重要なんでしょう?なかよしの縄跳び。なかなわとび。


そんな絵です。でも、私は縄跳びを主導してる子をぶっころしたかっただけじゃないんです。自分が丁寧に編んだ命のような髪の毛を、踏まれるかもしれないのに縄跳びさせるっていうのは、私の大切な物はふみにじらないよね?つまり、あんたは絶対引っかかるなよ、引っかからないよね?って信用があるからなんですよね。そう思ってます。

でも、そう信用して愛してる相手になら、みつあみを切断されても、傷つけられても、許さなきゃいけないよね?っていう友情と信頼の矛盾が生まれるんです。

そういった信頼の重たさ、クラス関係の矛盾、これはいじめとか単純な問題でもなくて、いじめにすらなりきれない、でも生きていたら絶対に切り離せない人間関係の真理だと思ってます。
とてもたちがわるくて、でも絶対あって、みんなあるのにみんなかくしてて、言われなくても同じようにして、言葉にもできないような、ナチュラルで一見平和な息苦しさ。
あの子も私も、そうやっていきている。いつ逆襲されるかもわからないのに、笑いながら手の裏では不安をこねくりまわしてる。だからこの絵にも傍観者がいるんだ。傍観者はただ見てるから傍観者なんじゃなくて、空気を見るから傍観者なのだ。冗談ははやし立てて、いわゆるノリとかいじられってものを上手くつかいこなし、冗談じゃ済まない話になったら、今度は被害者にだってなれる。傍観者はなあんにもわるくないよ。ただ器用なみんなよりも器用すぎてしまうだけなのだ。


この絵については、自分でも語り尽くせないし、自分でも理解の届かないところがあって、見る度に新しい解釈があるし、伝えきれないのが悔しい。

だけどさ、みんなグロい、怖いと言うけれど、たまたまこの絵ではこう見えるだけであって、あなたたちだってその言葉の裏に、何重にも包んだこの絵と同じものをもってるんだろう?
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おたんじょうびごっこ

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(きゅーえっくすで展示した絵の一つです。)

お誕生日といえば、バースデーケーキとロウソクでお祝いだよね。
そう言って火をつけた。
全部のロウソクに火が灯るまでにもたもたしていて、ぽたり、とロウが垂れてしまった。

真っ白い生クリーム、そこに、原色のそれはまるで誰かの血液か、涙かのように、異彩なデコレーションを添えた。

私はふっとロウソクを吹き消し、そのどちらともを暗闇へと葬り去るのだ。
真っ暗になったその先に、誰のどんな世界がこっそりと営まれているかも知らずに。




そんな絵です!
この絵の裏テーマは「SM」だったりもしてます。
ロウソクの子は女の子なのか男の子なのか人間なのかすらわかりません。火をつけたら現れるロウソクの精かなにかの可能性が高いです。からだじゅうがロウでできていて、どこからでもロウソクが生やせます。髪も脚もドロドロなキャンドルちゃん。
ケーキな女の子はただの女の子です。ケーキの精でも擬人化でもありません。本当にただの女の子で、きっと誕生日ケーキが買ってもらえず悲しかったんだと思います。

自分でケーキを買って帰ったら、いたずらなロウソクの精が飛び出し、自分がケーキにされちゃいました。でも、もうひとりじゃないよね。って。

だけども、ロウソクちゃんがケーキちゃんをいぢめるのにも、ロウで出来た自分の身を削って(溶かして?)だし、そうしてる間にも炎は刻々とロウソクちゃんの寿命を近づけていきます。それにケーキちゃんも、いつまでもそうしてはいられません。おたんじょうびは終わりがきます。主役でいられるのは一日だけなのです。ショートケーキって、賞味期限短いしね。

そんなアブナい二人の関係も、誰かがロウソクを吹き消したら一緒で暗闇に隠されてきえてしまう。以外と切ない儚いもんじゃないですか?おたんじょうびって。

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